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ヒト生殖細胞や受精卵のゲノム編集研究はストップすべき? 海外で一大論争に

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遺伝子を自由に改変させた子ども、いわゆる「デザイナーベビー」は多くのSFで登場しますが、あくまでフィクションであり、理論上は可能かもしれないという程度の認識でした。ところが、新たな遺伝子改変技術「ゲノム編集」によって、一気に現実味を帯びています。すでに、一部の研究機関や企業ではヒトの精子や卵子、あるいは受精卵の遺伝子改変を視野に入れて研究している、もしくはすでに実行されたかもしれないということを海外のニュースサイトが報じ、科学雑誌を巻き込んだ論争となっています。

完璧な赤ちゃんを設計する

事の発端は、マサチューセッツ工科大学が運営する『MIT Technology Review』というニュースサイトです。このサイトでは、科学技術に関する最新の動向や、それがもたらす将来的な課題を紹介しています。3月5日に紹介された記事は「Engineering the Perfect Baby(完璧な赤ちゃんを設計する)」です。

Engineering the Perfect Baby

Scientists are developing ways to edit the DNA of tomorrow’s children. Should they stop before it’s too late?

(完璧な赤ちゃんを設計する 科学者は明日の子どもたちのDNAを編集する手法を開発中 手遅れになる前に止めるべきか)

以前から、遺伝子治療などで遺伝子の一部を書き換えることはできていました。しかし、多くの場合はウイルスを使うため、狙ったところ以外の遺伝子にも影響を与える可能性が多く、実際に遺伝子治療を受けた患者の中には新規に白血病を発症した人もいます(直接の因果関係は不明ですが)。

ところが、数年前に登場した「ゲノム編集」は、はるかに正確に、より簡単に遺伝子を改変できます。カリフォルニア大学のJennifer Doudna氏は「分子生物学のスキルと知識を持つ科学者なら誰でもできる」くらい簡単であると述べています。また、これまでは難しかった1塩基レベルの編集も可能です。

実際にゲノム編集は、基礎研究の分野では広く使われており、難病を治療できる可能性を秘めています。酸素をうまく運べない鎌状赤血球症や、免疫不全を引き起こすエイズを治療できる可能性を示す論文も出ています。

Thomas J. Cradick, Eli J. Fine, Christopher J. Antico and Gang Bao “CRISPR/Cas9 systems targeting β-globin and CCR5 genes have substantial off-target activity” Nucleic Acids Research doi:10.1093/nar/gkt714, 2013

Wenhui Hua, Rafal Kaminskia, Fan Yanga, Yonggang Zhanga, Laura Cosentinoa, Fang Lia, et al. “RNA-directed gene editing specifically eradicates latent and prevents new HIV-1 infection” Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 111(31): 11461-11466, 2014

これらの論文で目的としているのは、ゲノム編集した造血幹細胞や免疫細胞を静脈注射して病気を治すというものです。この場合、精子や卵子といった生殖細胞には一切影響を与えません。つまり、ゲノム編集による影響はその人だけ、ということです。

ところが『MIT Technology Review』で報じられた研究は、生殖細胞や受精卵にゲノム編集するというものです。この場合、ゲノム編集した生殖細胞や受精卵から生まれた子どもはもちろんのこと、その孫、ひ孫……と、永遠にゲノム編集の「跡」が残ります。

もちろん、本来の研究の目的は「遺伝病の阻止」です。遺伝病を持つ両親から生まれる子どもに遺伝病をもたらせたくない場合、生殖細胞や受精卵にゲノム編集を施し、遺伝病と関係する遺伝子を修復するというものです。すでに、ハーバード医学大学のGeorge Church教授の研究室、バイオテクノロジー企業OvaScience社などでは、ヒトの生殖細胞や受精卵をゲノム編集して、遺伝病の阻止を最終目的として研究に取り組んでいます。ただし、現時点ではヒトの生殖細胞や受精卵を使った実験は行っていないとのことです。

なぜ、ヒトの生殖細胞や受精卵を使った実験をしていないのでしょうか。それは、研究コミュニティや一般社会からの反発があるからに他なりません。反発する最大の理由は、ゲノム編集の跡は未来の人類に永遠に残るという、倫理的な問題があるからです。どのような悪影響が出るのかわからないまま、研究を進めるのは望ましくないというものです。

また、仮にゲノム編集がヒトで実用化されたときには、最初は一部の富裕層しか使えない可能性が大いにあります。ゲノム編集が遺伝病を防ぐということは、平均寿命やQOLを向上させることにつながります。つまり、富裕層はより長寿でQOLの高い生活を送ることになり、貧困層との格差がさらに広がるという懸念があります。

もちろん、いわゆる「デザイナーベビー」の問題もあります。どこまでが病気の治療か、どこからが病気と関係ないものか、その線引きは困難でしょう。その線引きが曖昧なままゲノム編集が普及すれば、目の色や体質などを自由に選べるようになってしまうかもしれません。子どもの運動能力や知性の素質すら操作できるようになれば、格差はさらに広がります。まさに『ガタカ』や『機動戦士ガンダムSEED』のような世界が待っているのです。

ヒトの生殖細胞を編集しないで

『MIT Technology Review』の記事公開から1週間後、『Nature』は「Don’t edit the human germ line(ヒトの生殖細胞を編集しないで)」という記事を掲載します。

Don’t edit the human germ line

(ヒトの生殖細胞を編集しないで)

この記事では、現在の黎明期においては、ヒトの生殖細胞内のDNAを改変しないことに科学者は賛同すべきだとして、ヒトの生殖細胞や受精卵を使ったゲノム編集の研究を一時ストップするように呼びかけています。まずはオープンな議論を重ね、研究者・生命倫理学者・政府機関の監視官・一般市民などを巻き込んだルール作りをすべきだとしています。

このようなオープンな議論をしないと、鎌状赤血球症やエイズの治療といった本来の有望な使い方と、デザイナーベビーの問題が混合される可能性があると危惧しています(前者は患者だけの影響に留まるが、後者は未来の人類に影響が残るという差異が、一般には認知されていないと指摘)。ルール作りのための議論と、一般への認知にかける時間としての「モラトリアム(一時休止)」を呼びかけています。

ヒト受精卵のゲノム編集に警鐘を鳴らす科学者たち

同日、『Nature』は複数のコメントを紹介する記事を公開します。

Scientists sound alarm over DNA editing of human embryos

(ヒト受精卵のDNA編集に警鐘を鳴らす科学者たち)

再生医療アライアンス(Alliance for Regenerative Medicine)の長であるEdward Lanphier氏らは、先の記事へのコメントとして、ヒトの受精卵を編集しないように科学者に呼びかけました。ただし、この呼びかけに対して、賛成ばかりではありません。議論は必要であることは理解できるが、遺伝病の治療のためにも研究は続行すべきだという反論です。例えば、上海科技大学のXingxu Huang氏は、2014年にサルの受精卵におけるゲノム編集に成功しており、廃棄されるヒト受精卵を使ったゲノム編集の研究許可を得るために模索しているようです。

記事では、法律についても述べています。多くの国では生殖細胞や受精卵の遺伝子改変を禁止する法律またはガイドラインがあります。しかし、これらの法律やガイドラインができた当時にゲノム編集技術はなく、ウイルスなどを使った遺伝子組み換え技術は精度が低いという理由で禁止するものがほとんどです。ゲノム編集は精度が非常に高いため、これらの法律やガイドラインは見直すべきだと述べています。なお、アメリカは政府の承認が必要ですが禁止していません。そのため、未承認のまま行われるという抜け道はあります。

受精卵を編集しないで 研究者が警告

『Nature』のやり取りを見て、さらに『Science』のWebサイトにも記事が掲載されます。

Don’t edit embryos, researchers warn

(受精卵を編集しないで 研究者が警告)

こちらは、これまでの議論を簡単にまとめたものとなっています。

産業団体が遺伝子編集の一時休止を呼びかけ

発端となった『MIT Technology Review』は『Nature』の議論も踏まえた上で、これまでの内容とまとめています。

Industry Body Calls for Gene-Editing Moratorium

(産業団体が遺伝子編集の一時休止を呼びかけ)

特に注目すべきは最後から2つ目のセンテンス。ゲノム編集技術は非常に新しいため、賛成派も反対派も、果たして有益なのか有害なのか正確な議論ができないとしています。このような状況では、正しいか間違っているかの単純化された議論となり、遺伝子組み換え作物や動物実験のような意見の相違を生み出すことにつながると述べています。

実験も議論もオープンにすべき

『MIT Technology Review』や『Nature』の記事のなかには、非常に危険な証言があります。それは「すでにヒトの生殖細胞や受精卵にゲノム編集を施した実験が行われている。論文として公表されていなかったり、掲載準備中であるにすぎない」という可能性が否定できないというものです。

今回紹介した5本の記事を総括すると、概ね「ヒトの生殖細胞や受精卵にゲノム編集する実験は一時休止して、オープンな議論と一般への認知のために時間をかけるべき」という主旨になります。そのような呼びかけのなかで、秘密裏に実験をしていたことが明らかになれば、一般社会からの信頼はなくなり、全面的な禁止も考えられます。そうなれば、本来の有益な使い道である「遺伝病患者の治療」も暗礁に乗り上げてしまします。

そうならないためには、一旦、全ての実験や議論をオープンにして、明確なルール作りに徹するのが理想かもしれません。研究者にとってはもどかしい期間になりますが、研究者・患者・社会いずれのメリットのために必要な期間であるのは仕方ないと考えます。

ゲノム編集に関することはgenome editingタグにまとめてあります。ぜひご覧ください。

 

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